大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)1402号 決定 1981年3月25日

本店所在地

東京都中央区日本橋二丁目一番一八号

日昌物産株式会社

右代表者代表取締役

倉田敬三

本籍

東京都渋谷区桜丘町四番地の一六

住居

同都世田谷区中町四丁目五番地二一号

会社役員

倉田謙二

明治三〇年一二月一二日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五五年六月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人高橋梅夫の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 監野宜慶 裁判官 栗本一夫 裁判官 木下忠良 裁判官 塚本重頼 裁判官 宮崎梧一)

○昭和五五年(あ)第一四〇二号

被告人 日昌物産株式会社

右代表者代表取締役 倉田敬三

同 倉田謙二

弁護人高橋梅夫の上告趣意(昭和五五年一〇月八日付)

原判決には、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる事由があるので原判決を破棄されたい。

第一点 判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること

一、原判決は、第一審判決が、昭和四四年、同四五年中の三幸食品及びミヅホ商事を委託先とする小口好弘名義による先物取引及び現物取引から生じた売買損益がいずれも被告法人に帰属するとした事実認定は誤りであって、真実は、右各取引はいずれも被告法人の常務取締役岡野鉀三の個人としての取引でその損益はすべて右岡野個人に帰属するとの主張を排斥している。

しかし、原判決は事実を誤認している。

先ず、原判決は、三幸食品及びミヅホ商事を委託先とする被告法人の昭和四四年度及び同四五年度における小口好弘名義の雑豆類の先物取引及び現物取引は、「岡野が……行い……売買益を上げたこと」を認めている。従って、問題は右岡野の取引が岡野個人としての取引であるのか、被告法人の常務取締役としてのものであるかにかかる。

(一) そこで、この点について原判決が被告法人の取引であると認定するにいたった点について、判示事実の順を追って逐一検討を加えるものである。

<1> 岡野は被告法人の常務取締役として被告法人の営業全般に関与する立場にあったことに対して

岡野が右のような立場で広汎な裁量権を有していたからこそ、かえって被告法人の簿外預金を委託証拠金に流用して個人取引をすることも比較的容易であったのであるから、この点は岡野個人の取引を肯定する理由にもなりうる。

<2> 三幸食品に対する合計一、四五三万円余り、ミヅホ商事に対する五〇〇万円の各委託証拠金及びミヅホ商事に代用証券として預託した株式の購入代金九七五万円をいずれも被告法人の簿外預金から支出していることに対して

岡野常務取締役が前記のとおり営業全般に関与する立場にあり、当時簿外所得は、変動性の激しい取引の性質上損失補填のための保留金として岡野の管理下にあったから、岡野が一時的に自分のために運用したのである。取引の原資ともいうべき委託証拠金等が被告法人の簿外保留金より支出されている場合でも、被告法人の取引であれば、社長である被告人と相談して行うべきが当然であるのに、岡野は被告人と相談しないで証拠金を預託しているのであるから、岡野の一時的な流用と認めるべきである。当時被告法人は資金調達の苦心もなく、損失の危険性もない時期であったから岡野は被告人から三幸食品にある小口好弘名義を使って或る程度の建玉を慫慂されていた(原審被告人の陳述書二頁)こともあって個人取引をしたものである。

ミヅホ商事は岡野が自分で新しく選んだ委託先で、被告人はそのことを知らなかったのであり、被告法人の取引であればこのようなことはなかったのである。

<3> 三幸食品を委託先とする取引の売買損失五八万五、〇〇〇円を岡野個人が埋めなかったことに対して

たしかに昭和四四年度に限って見れば、年度末の時点で損失が発生しているが、三幸食品を委託先とする取引は次年度に継続して行っていること、簿外取引であったから被告法人の事業年度に合わせて年度末決算を行うことも事業年度という考えをとる必要もなく現実にもこのような決算は行っていないので損失を敢えて補填する必要もなかったのである。また、限月の近い先物取引については或る程度の利益予想も立てられたから補填しなかったとも推測されるのであり、右の点は岡野の個人取引を否定する理由にはならないのである。

<4> 取引完了後各取引先から返戻された委託証拠金及び差益金を被告法人の簿外預金口座に預け入れたことについて

返戻された委託証拠金を簿外預金口座に預け入れるのは、当該証拠金を簿外預金から一時流用したものであるから当然のことであるが、差益金についてみるのに、当時岡野は個人ですでに約一、〇〇〇万円の資金で右取引の利益を見越してソニー及び東電化学の株式を購入し購入後直ちに小口名義に書換え、証拠金代用証券として使用したのちは、小口の妻である妹宅に保管を依頼していたので、この分を差引いたものが実質的利益となるが、被告法人の簿外資金を流用した事情もあって、これを簿外預金口座に入金したにすぎないのである。

右株式については、被告法人が保管場所に困るとか、岡野にその取得を依頼しなければならない事情は全くなかったのであって、岡野のものであるから岡野が妹に預けていたのである。これを敢えて推測すれば、当時岡野にも修正申告を必要とする程の申告漏れ所得があり、かつ、右株式購入分の利益についても申告すべきかどうか決しかねていたのではないかと思われる。

(二)<1> 原判決は、「被告法人が右簿外資金を岡野が個人として右小口名義取引の証拠金にあてることを承認していたものとは認められ」ないことも岡野個人の取引を否定する理由としているが、必然性のない理由である。証拠金の支出は岡野の管理下にある簿外資金の一時的な流用であるから、被告人の承認を得ていようといまいとそのことが正しいかどうかは別として事実上は可能なのである。被告人が「岡野のB勘定利用は、自然的に無言の内に私が了解しているものとして岡野は利用していたものであります。私は当時証拠金については全く知らず、又知る必要も感じなかったのであり、本件が査察後問題となって初めて知ったのであります。」(原審被告人の陳述書四頁)と述べていることからも岡野の独断による簿外資金の流用であることは明らかであり、「その処理は全く彼の良心と常識に任され」(原審被告人の陳述書三頁)た問題であったから、承認のないことを個人取引を否定する事実と評価すべきではないのである。

<2> 原判決が指摘する株式購入の経過についていえば、先物取引においては、最終仕切り前又は入金前に利益の概算額又は確定額が判るのであるから、岡野はこれと見合わせて、株式相場の有利な時期を見計らって簿外預金から株式の購入代金を支出したのである。それ故に、小口名義の取引利益について株式取得相当分を区別することなく簿外資金に預け入れているのである。

<3> 原判決は配当金の入金形態も岡野の個人取引を否定する要因としているが、株式名義人の預金口座に株式配当金を振込ませることは一般的に行われている方法であり、別人口座に振込ませることはしないのが普通である。小口名義の口座は、被告法人の簿外預金と岡野個人のためとに兼用されていたのであるから、株式が被告法人のものであると速断するのは正当でない。振込まれた配当金は岡野が単独で処理できたのである。

(三) 被告人の小口名義の取引は会社のものに間違いない旨を述べた検面調書がある。

しかし、この当時の被告人は、修正申告において、自らの会社の所得と判断したものは全部申告し、税金も完納していたし、査察後の再修正申告においても、税務当局にひたすら恭順し、検察当局の取調べに対しても同じ態度で臨み一心に寛大な処分を願っていたのでこのような供述をした。

また、本件については、査察調査では、修正申告の所得内容となっていなかった<1>いわゆる「手数料戻し」収入<2>小口好弘名義の収益<3>野口高名義の収益<4>登根武則名義の収益<5>尾谷博史名義の収益<6>八島信名義の収益の帰属が問題となったが、被告人は、これらが被告法人の所得とされるべきでないことを東京国税局長宛上申していたが、これらについて再修正申告を勧告され、これに従って再修正申告をした。告発後東京地検の捜査結果は、前記野口、登根、尾谷、八島名義の収益は被告法人の所得外とされ結局「手数料戻し」分と小口好弘名義の収益が被告法人の所得とされ、修正申告に依る所得額と右二口の所得が犯則所得として起訴の対象とされた経緯があり、被告人が真実を貫かず妥協して前記供述をした面もある。

さらに、査察調査後、岡野も個人取引によって利益をあげていたことが判明したが、岡野は修正申告によってすでに税務処理を終了していたので、小口名義の取引利益が岡野のものであると主張し続けることによって岡野に迷惑がかかることを慮ったこともある。

しかし、被告人としては心に引掛るものがあり、「将来会社のために功績のあった岡野に譲ってやってもよいという考えのものである」と供述し、この収益が岡野とかかわりのあることを付け加えているのである。

(四) 被告人が他人名義でしている取引は、すべて被告人の親類、知人名を使用している。これは被告人の性癖であり全く作為はない。岡野が妹の夫小口好弘名義を使用したのは、被告人が岡野に定期取引を勧め岡野がこれを受け入れたからにほかならないのである。

以上のとおり、原判決には、被告法人の所得とすべきでない所得を被告法人の所得と認定し犯則所得とした事実誤認がある。

二、原判決は、第一審判決が、丸神商事からのいわゆる委託手数料戻しとして舟橋一夫が被告人に手交した金員を被告法人の雑収入として逋脱所得と認定したのは誤りであり、被告人の恩顧に報い、かつ今後の引き立てを願う趣旨で被告人個人に支払った被告人個人の所得であるとの主張を容認しなかったが、事実を誤認している。

(一) 原判決は、「被告人からの求めがある都度、被告人あるいはその使いの者に手渡していたこと」を認めたが、「被告人が被告法人を離れて丸神商事から前記のような多大の金員を受け取るべき同社に対する個人的寄与というべきものはなかったことなど」から、被告法人の所得であるとして第一審の結論を肯定した。

(二) 右委託手数料戻し分についての原判決の判示は、きわめて説得力にかけるが、この点についての第一審判決の認定した事実を次に列挙する。

<1> 舟橋が穀物仲買業丸神商事を設立したのは「かねてから懇意であった被告人倉田の応援に負うところが多かったこと」

<2> 被告人からの委託金額が多くなって来たところ、被告人から「多少のことは相談に乗ってくれんか、率は君に一任するから」と、この種の業者間において行われている委託手数料の一部返戻依頼をうけ、舟橋も被告人に対する思義もあってこれを快く了承したこと。

<3> 当初は被告人から受取った委託手数料の三割相当程度の額を被告人の要求のある都度丸神商事より支出して交付していたこと

<4> 舟橋は委託手数料の額が多くなって来たこともあって「“いっぺんにごぼっといわれたときに困りますから”」委託手数料の四割相当程度を会社帳簿より支出して銀行の仮名普通預金口座に入金していたが「この預金の存在を被告会社の誰れにも告げてはいなかった」こと

<5> 「この金員の授受がいわば舟橋と被告人倉田の間で、密約の如くにして行なわれていた」こと

<6> 右<5>のように処理していた理由の一つは、「被告人倉田の個人的受取り分にして扱うことにより、同人が自由な機密資金を確保できるという利益が存するからに外ならなかった」こと

<7> 「その授受の場における言葉のやりとりも『ちょっと金を貰えるやつを少しくれるか、なんぼくれるか』(記録二六四丁参照)と言った具合のものであって、勿論両会社間において送金手続をとるか、支払通知をするといった形をとるものではなかった」こと

<8>「舟橋自身もその預金の帰属につき複雑な心境であったと認められる(すなわち被告人倉田から金員の交付方の要求があれば預金を引出して渡すが、その要求がない限りこれを要しないのであり、一方被告人倉田が不在となる事態でも起これば、誰にも支払う必要のない性質の金であるという。)」こと

第一審判決は、このような一連の舟橋と被告人だけの約束で被告人のために被告人が受け取ったことを容易に結論できるだけの事実を認定しながら、結局「このような商取引によりリベートと認められるものは、それが商取引の当事者間以外のリベート受領の個人に帰属すると認めねばならない特別の事情が認められない限り、原則として本来の取引当事者に帰属するものというべきである」とし、舟橋が被告人に恩義を感じていた事情は認められるが謝礼とみることは相当でなく、被告法人の代表者の資格において受領したものと認定した。

この点については、本弁護人は原審において、右認定事実に則してこの授受の関係をみると、被告人と舟橋は懇意であり、丸神商事の設立は被告人の応援に負うところが多く、手数料戻しの依頼に対しては、倉田に対する恩義もあって快く了承し、両者間で密約の如くにして、舟橋は被告人からの要求で同人又はその指定をうけた者に交付していたというのであるが、この金員を簿外収益とみるならば、秘密裏に被告人と舟橋間で授受する必要がなかったであろうことを指摘した。それは、右収益が被告法人のいわゆるB勘定であるならば、被告法人におけるB勘定は、少くとも岡野や経理担当の小林には、すべて公然化されていたのであるから、被告法人の簿外経理を通して処理されていたはずであるからである。査察調査、捜査を通じて簿外収益とされたもののうち、岡野や小林が把握していなかったものは、丸神商事の手数料戻し分だけである。

そのほかいくつかの点を指摘したのであるが、原判決はこれらの点についてどのように判断したのかわからない。そして、被告人は被告法人を離れて多大の金額を受取るべき個人的寄与はなかったというのである。しかし、これは被告法人の構成の実体と被告法人における雑豆取引の実態をあまりにも無視したものである。被告法人において、被告人が丸神商事を委託先としないことを決定すれば、丸神商事と被告法人との取引は継続する余地はない。被告法人は、いわば倉田商店という個人経営の店を法人形式にして経営しているようなもので、営業部門のうち、雑豆取引については完全にこのようにいえるのである。であるから、むしろ、被告法人は被告人を離れて収受する理由はないということがいえるのである。そして、金額についていえば、舟橋としては会員並に扱っても委託量が多い方が商売になるのであるから、この程度の手数料の割戻しをしても、経営上損をするというものではない。さらに、建玉の金額に比べれば極めて少額である。

原判決は、本弁護人の主張について、検討を加えていないといわざるを得ない。

三、原判決、は青色申告の取消によって価格変動備準金等の損金算入が否認されたことによる増加所得分を逋脱所得金額に算入した第一審判を維持し、「被告人は本件各確定申告の時点において、脱税を行えば青色申告にともなう特典が取り消されることがあり得ると認識していたことが認められるところ、右程度の認識があれば右増加所得分についての逋脱の犯意に欠けるところはないものというべきである」と判示した。

この点に関する証拠は、被告人の検察官に対する供述調書中に「今回のような脱税を行なえばその特典を取消されることはやむを得ないものと思っておりました」とある供述記載だけである。

この供述記載は、青色申告の取消によって青色申告に伴う特典が取消されることの認識に関するだけであり、何が特典であると認識していたのかは明らかでなく、ましてや取消された結果、準備金等の損金算入が否認されその結果所得が増加しその分が逋脱所得になることまで認識していたと認めるものではない。これは、被告人はかかる具体的な事項についてまでの認識はなかったが、検察官から指摘されて青色申告を取消されることは「やむを得ない」と答えたのが、かかる供述記載となったのである。

この点については、税務当局は、青色申告の承認の取消による否認分を告発の対象としていない(第一審信定証人の証言)が、検察当局は訴追の対象とする方針をとっていたので、検察官の捜査段階で不充分ながらこの程度の供述になったのである。

そして、原判決は、この程度の認識で逋脱の犯意に欠けるところはないと判示したが、青色申告が取消される点の認識が、逋脱所得が生ずることの認識まで含むとすることは、無理ではないであろうか。そのようなことが予測できたはずであるというのは擬制であり、予測すべきであるというのであれば、認識が欠除しているということである。いずれにしても故意の存在を認定できないといわなければならない。

また、青色申告の承認取消による逋脱犯は、承認取消という行政処分があった場合に遡って現実化するのであるから、通常の脱漏所得のように申告時に確定的に認識しているのとは異なり、未必的要素が加わるのであるから、この点に関する犯意は、証拠上明確なものでなければならず、前記証拠では不充分であると考えるのである。

故意論と深くかかわり合う問題について、安易に故意の存在を認定した結果、原判決は事実を誤認しているのである。

四、以上三点に関する事実誤認は、犯則所得成否に対する誤認であるから、判決に影警を及ぼすべき重大な事情の誤認であるというべきである。

第二点 刑の量が甚しく不当であること

原判決は、三事業年度にわたる合計一億三、六〇〇万円余りの脱税は、脱税額が巨額で、各確定申告時における逋脱率もおよそ五割から三割程度にまで達していることなどに徴し、諸事情を十分に斟酌しても量刑が不当に重いとは認められないとうのでである。

しかし、次の諸点を斟酌するならば、量刑不当の惑を免れないのである。

原審控訴趣意書第二において、修正申告による斟酌すべき事情を述べたが、これらに加えて当審において、さらに斟酌されたい点を以下に述べるものである。

一、従来自主的に修正申告を行った者について、査察を行なった例は寡聞にして知るところでないが、新聞その他の報道によれば、税務調査を受けた結果発見された所得について、修正申告をしたが、刑事処分については不問に付されている例が多数発生している。しかも、高名にして国家の指導的役割を果すべき人物についてのものである。このような事例については、その地位に鑑み、特に厳しく対処すべきものと思うが寛大にすぎるのである。税務当局のみならず、司法を預かる機関においても例外は許されないのである。これは脱税額の問題にもかかわるであろうが、少くとも数千万円以上ともなれば、刑事的にも最小限度の捜査まではすべきであろうと思うのが国民の法感情ではなかろうか。さらに理不尽な例は、刑事事件に関連して発覚した脱洩所得についてまでも、修正申告をなさしめて一件落着というのである。裁判所にも公知の事実であろうと信じ、あえて具体的に特定しないが、国家のこれらに対する処理は法秩序全体を形成する具体例であるから、他の例との均衡を失してはならないと信ずる。そうでなければ、法の下の平等は画餠に帰してしまうのである。

二、ここに二年度分(本件は三事業年度分)で本件よりも二・五倍も高額の脱税をして、検察官の徴役一年、罰金一億円の併科の求刑に対し、一、二審とも罰金刑のみに処した判決例があるので、法の下における実質的平等が保たれていない例として指摘したい。

東京高等裁判所昭和四七年(う)第一五一六号所得税法違反被告事件についての同五一年一二月一五日の判決は、検察官からの量刑不当を理由とする控訴があったので、事実関係をかなり詳細に述べているが、これは勅使河原蒼風氏に対する判決である。目についたところだけを摘記すると

<1> 妻のところに集め、被告人や娘婿と打合せて無記名や架空名義で預金していた、

<2> 裏金で妻が被告人と相談して宝石を買ったり、洋服を注文し、注文先に帳簿に記帳しないよう指示している、

<3> 小原流は一億三、〇〇〇万円位で申告するらしいから一億五、〇〇〇万円にして申告するよう指示している、

<4> 強制捜査が開始された数日後に被告人は、運転手を通して洋服店経営者に取引数量を減じて申告するよう指示している、

<5> 犯行の動機の一つとして被告人および家族の財産的欲望を満足させようとの意向があった、

ことなどである。

そして、判決は、被告人の脱税に対する関与の程度を軽く認定し、有罪判決をうけることによる社会的制裁の重いことを一審の罰金刑を維持する理由にしている。

右判決の社会的制裁論には理由がないわけではないが、それは、高名なるが故に誤りなき行動が要請されるべきであるとの考えに立てば、むしろ当然受けなければならない社会的制裁であり、これを被告人に有利に斟酌するのは「量刑にあたり一つの事情として参酌されるべきこともまた当然である」(右判決による)ということになるのであろうか。本件と比較するのに

<1> 免許状申請の際納入される証書料等の収入は安定度の高い報酬所得であるのに対し、被告法人の所得は一時的のもので税制上認められている変動所得に類するもので一種の繰越利益であること、

<2> 査察調査後の修正申告で、被告法人の自主修正申告とは異なること、

<3> 私欲のために脱税し、かつ、その工作までしているのに、本件では被告法人の簿外預金として被告法人にのみ保留し取引上の損失の補填の目的以外には使用していないことなどからみれば、本件の方がその犯情は軽微であるといわざるをえない。

三、原判決が指摘する逋脱率についても、損益の変動の激しい継続的先物取引を主体として簿外で処理していた本件の場合は、実質的には仮利益といってもいいもので、しかも、自主的修正申告した分を除けば、本件で前記事実誤認を主張している二件合計三千余万円にすぎないのであるから、単純に逋脱率を云々するのは妥当でないと思料するものである。

以上第一、第二点について上告の趣意を開陳し原判決を破棄されるよう上申する。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例